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写メ日記詳細

11月17日01:25サラ投稿の写メ日記
サラ
11月17日(日) 01:25 UP
生い立ちについて
結構人間のバックボーンって気になる人、多いですよね。
自慢じゃないですけど、僕の人生かなり変わっているのでここで書いておこうかな。

すごーく長いので、寝れない時の睡眠剤代わりに使ってください笑

生まれから現在までのざーっとした流れを書くので、少しでも共感出来たらDMください!


■幼少期

 青森で生まれました。
 小さい頃から感受性豊かで、幼稚園とかの時に「ブラックホールに吸い込まれて地球はやがれ消滅するのではないか?」
 という不安でしばらく泣いて眠れない夜がありました笑

 この頃から結構考えがぶっ飛んでる笑


■小学生

 習い事はスイミング、日本舞踊、中学受験の塾、学校の部活でサッカー

 母からも躾けが厳しかったり、父からもDV受けてたりとそこまで家庭環境は良くなかったのかも。
 母の躾けは、ゲームのし過ぎで目の前でDS逆パカされたり、怒られたらご飯抜かれたり、冬場に外で立たせられたりしてた。
 今の御時世だと、余裕で炎上するよね!笑

 ただ、僕も結構な悪ガキでしょっちゅう問題起こしていたので、別に過剰な躾けとかはあんまり考えてなかった。

 小4の頃に父親の不倫が決定打になって離婚
 離婚後は母方の実家である大阪で過ごします。

 ちなみに、父親と母親は大阪の職場結婚で、
 小さい頃から家の中では関西弁が公用語だったので、青森育ちでも関西弁はばりばり使ってました。
 エセ関西弁扱いしたやつ、分かってんな?笑

 大阪に転校後も田舎から来たという点と、お調子者だったという理由でいじめにあう。
 地元はかなり荒れてるので、母の勧めもあり地元の中学に進学するのではなくて中学受験することに。


■中学

 無事に第一志望だった高校に進学。
 塾で仲良かった子たちと一緒に進学出来たのと、自由な校風に惹かれて入学!

 ただ、もともと勉強がほんとに嫌いで、中学受験で一生分の勉強(嫌な思い)したと思ってるから入学してから勉強なんてほとんどしなかった。
 しかも、公式とかに対して「なんでその公式が生まれたのか」っていう質問したりとかで、先生を困らすことが多かったです。
 何にしても根本から学びたい子で、暗記するだけって行為が無駄なことに感じてしまってダメでしたね。
 
 とはいえ、私学の高い授業料払っているからなんとか授業には追いつきたかったから、勉強を頑張らないと!っていう姿勢はありました。
 そこで先生に補修を依頼したら、僕の珍回答目当てに医学部コースとかからも人が来て、セルフヘキサゴンみたいな感じになってたのはいい思い出。
 そこで出会った同級生に習う方が違う視点があってわかりやすかったりしておもしろかった記憶。

 嫌いな授業(数学、物理)はとことん嫌いだったから、授業中にゲームしたり寝たりで赤点まみれだっただったなぁと。
 だって誰も公式の意味とか教えてくれないんだもん。
 うちの学校は成績が悪いと校長先生から親子で呼び出しがあり、進級させるかどうかの面談があったけど、
 いつもすれすれの所で進級出来ていた記憶。 提出物だけは1回も忘れることなかったから笑

 あとはこの頃から不登校の友達の家に入り浸ることが多くなって、あんまり家に帰らない時期も多かったです。
 母には心配かけたと思ってますが、まさに親の心子知らず。
 楽しさを第一に生きていました!


■高校

 実はうちの私学は中高一貫校なので、エスカレータ式に進学出来ます!
 嫌いなお受験しなくていいのはとっても嬉しいね! ラッキー!

 ただ、うちの学校はそれなりに偏差値高いです。
 一番下のコースでも63ぐらいあるので、結構おぼっちゃま校だったんですね。

 そこで勉強について行けなさすぎて心が折れちゃいまして。。。
 しかも何をトチ狂ったか、あれだけ嫌いだった理系コースに進んでしまったので仲良い友達も居なくて孤独感もすごかったです。

 結果、環境を変えようとなり違う私学に転入します。
 (ほんとに金食い虫過ぎる、おじいちゃん、お母さんごめん・・・)

 ただそこでもそこでも前の学校より仲良く出来る友達とは出会えなかったり、
 勉強もそこまで頑張り切れなかったりで、中退します笑

 
 人生で高校1回中退してる人でも珍しいのに、2回高校を中退してる人っていますか?笑 
 ほんとに日本で何人いるのか調べたい、絶対にSSSSRぐらいのレアリティの自信がある笑


 その後はおじいちゃんからお小遣いもらって、ゲーセンに入り浸ってました。
 人生で一番自由で楽しかった最高の時期です。

 基本僕の年で平日の午前とかからゲーセンにいるのがおかしいんですけど、
 同じ不登校の友達ができたり、20ぐらい年上のおじさんと仲良くなったり、
 長い付き合いをする人が凄く多く友人になった感じがします。
 その方たちとは未だに縁があり、結婚式にも呼んでもらったりしてます。

 僕ら未成年にとっては今でいうトー横みたいな場所だったかな?って今になったら思います。
 とりあえずそこに行けば、誰かしらいるし、ゲームしたりして遊べるし、居心地がいい。
 居場所って大事だよねって今も思います。 そういうBARとかあったら教えて下さい!

 そんな感じで19ぐらいまでは不登校ライフを満喫していました。


■転機

 親からはなんかしなさいって言われ続けていたんですが、反抗し続けていました。
 ただ、めっちゃおじいちゃんっ子だったので、おじいちゃんには一番懐いてました。
 急に亡くなるまでは。

 もう年齢も80過ぎていたのもあったんですが、僕の父親の代わりに頑張ってくれていたおじいちゃん。
 欲しいものも全部買ってくれたし、家に帰らない時期も文句一つ言わなかったですし、どんなときも僕を庇ってくれました。
 けど、やっぱりひょんなことから事故にあって、そのままぽっくり亡くなりました。
 時間でいうと1ヶ月とかですかね。

 棺の中にいる真っ白なもう喋らないおじいちゃんと見て、会場にいる誰よりも号泣していました。
 多分うるさいぐらいに泣いてたかも。 今も少し泣いてるもん。
 成人するまでは頑張ってほしかったんですけど、それも叶いませんでした。

 ただ、その葬式がすごいスケールで1000人ぐらいの参列者が居たんじゃないかなって思います。
 おじいちゃんと慕っているのは僕だけじゃなくて、もっと多いんだなって。

 それを期に僕もおじいちゃんみたいな人になりたいと思って大学に進学することを決意します。


■大学

 そこから大学検定っていう資格を2ヶ月ぐらい勉強して取って、大学に進学します。
 もうゴリゴリの文系の文学部に。(特殊な学科なので、割愛します。)

 そこからはバンドしたり、色んなバイトしたり(夜職したのもここから)、留年したりして楽しかったなって思います。
 入学時点でも1浪していましたが、留年も2回しています。
 (お母さんごめんなさい)

 ほんとに遊びに集中しすぎて半期の単位0はやりすぎたなと反省しています。(反省したとは言っていない)
 そこからは無事にIT系の従業員5000人ぐらいいる大手企業に入ることになりました。
 
 結構就職の時って、汎用的な質問があってそこに対しての答えをあらかじめ持っていくとどうにかなるんですが、
 僕の場合は、高校2回中退してるの、やばくね? っていう話しかされなかったので、後半はうっとおしく思ってました笑



今日は長くなりすぎたのでここまでにします!
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おやすみなさい~